「若き日の信長」と私の思い(きらちゃん)

戦国の風雲児・織田信長。この夏には宝塚歌劇で取り上げられることも決まり、来年は信長が岐阜城に入城して450年という節目の年にあたることから、何かと注目が集まるのではないでしょうか?

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先日、栄に用事があって立ち寄り、そのついでに政秀寺~万松寺~金山まで歩きました。春の訪れが待ち遠しい陽気で、政秀寺の境内には梅が咲いていました。

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織田信長は強烈な個性があったから天下がとれた?

境内で作業していた庭師さんに、
「私、発達障害なんだ。織田信長と同じじゃないかな?」と打ち明けたら、
「織田信長は、強烈な個性があったからこそ天下をとれたんじゃないかな。」
「発達障害は個性と割り切ってしまいなさい。そのうえで、特性を個性に変えるための知恵や工夫を考えてごらん。」と助言してくださいました。

信長は大須の万松寺で行われた父・信秀の葬式のとき位牌に抹香を投げつけるなど奇抜な振る舞いが目立ち、織田家の家臣からや他国からは「尾張の大うつけ」と呼ばれていた強烈な個性で有名です。

一方で常識にとらわれない発想で城下では「楽市・楽座(当事勢力をふるっていた座の特権を認めず、だれでも自由に商売ができるようにした)」を進めたり、戦いでは奇襲戦法で今川義元を破ったり鉄砲を積極的に取り入れたり、西洋文化に強い関心を示したりという一面もありました。

このような織田信長の奇抜な振る舞いや革新的な考え方・明智光秀など家臣との不和の背景には、広汎性発達障害とADHDの合併の可能性があるのかも?信長の抹香事件も、奇抜な振る舞いも、社会の慣例を読み取るのが苦手だったのかも。

殺人事件を犯して懲役9年の判決を受けた広汎性発達障害者に、
「発達障害でノーベル賞を取った人もいる。自信を持って」と諭した裁判官もいたそうです。
発達障害は周囲の理解と適切なトレーニングがあれば、特性を個性に変えることができ、社会の第一線で活躍することもできるのではないでしょうか?

反面、適正な支援が受けられなかったり、合わない仕事ばかり選んで自信を無くしたりすると、その逆に走ってしまうという面もあります。それは、発達の凸と凹が大きすぎてそれが周りに理解されないことが原因では?と思います。それによってDV被害(「お前は我が家の中で一番バカなんだ」と嫌がらせを受ける)や差別、ハラスメント(「お前はこの会社で一番バカなんだ」などの虐待を受ける)にあうケースも少なくありません。

しかし、常識にとらわれない発想ができることや考えるよりもすぐ動ける特性は、上手に使えばプラスに変えることができるのではないのでしょうか?

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